名古屋市中区大須にある出張撮影専門、ロケーションです。
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こだわり対談写真家になろうと思ったきっかけは何ですか?
富川 : 写真家になろうと思ったきっかけは何ですか? 蛭田 : そもそもの切っ掛けは父が写真館を営んでいたと言う事ですね。 但し、ボクは写真学校に入る迄は、フィルム現像もした事なかったんです。 その写真学校入学の際に驚いた事がありました。 同級生の殆どは家業が写真関係の奴等ばかりだろうと思っていたのに、 8割強は写真が趣味と言うのにはもうビックリでした。 写真の何が面白いんだろうって!? 富川さんは小さい時、悪い事をしたら親にどう叱られましたか? 富川 : 物置とかに入れられました。 蛭田 : ボクは家の暗室に閉じ込められました。 当時の暗室は床板が薬品の影響で他の所より傷んでいた所為か 歩くと〝ギギ~ッ〟と恐ろしげな音がして、泣きながらあっちこっち触ると ボ~ッと 弱い赤い光の中に薄暗い、か細い緑の光が浮かび上がったりと それはそれは恐ろしい幼児体験でした。 そのトラウマで暗室嫌いに、ひいては暗室授業の成績が極端に悪かったのは親父の所為です! 絶対!今は、デジタルの世界に突入したので暗室から解放され何とか食べて行ってます(笑) 色々学んでいるうちに段々写真の持っている力と云うか 表現出来る素晴らしさに魅了されこの仕事に就きました。 これだけは誰にも負けないというものを教えて下さい。
富川 : 蛭田さんのこだわりは私自身特に感じていますが、これだけは誰にも負けないというものを教えて下さい。 蛭田 : 結婚式とか全ての写真集アルバム制作には気持ちを込めてセレクト・レイアウト編集などに呆れる位、相当の時間を費やしています。 (仕事が遅いとの冷ややかな声も横から聞こえますが…^_^;) デジタル制作はレイアウト迄が大変ですがそれが決まれば専門の業者に依頼しますので ある意味、楽チンです。 方やアナログ制作は仕上がった写真を1枚1枚自分でデザイン台紙に貼り付ける等の 工程全てが手作り制作です。 完成したアナログ写真集アルバムには自己満足という陶酔のご褒美がもれなく付いてきますが、 カミサンからは、コンビニでバイトした方が時給がいいと嫌味を言われています(笑) ホームページの写真撮影で、一番印象に残った撮影は何ですか?
富川 : 今まで弊社ホームページの写真を数多く撮っていただいてますが、一番印象に残った撮影は何ですか。? 蛭田 : それは富川さんが担当したカービートイズミさんですね。 http://www.cmacs.jp/32142/carbeat/index2.html 仲間達のバーベキュー風景とか集合写真等を撮って欲しいと電話がありましたので、 (うまく行けば美味いモンにあり付けるかも…・?と〝舌〟心一杯)で二つ返事でOK♪ その日は、富川さんが車で迎えに来てくれたので、下ろしたてのピッカピッカの靴を履いて 仕事なのにピクニック気分でお出掛け♪ 期待通りボクのお腹も満たされて集合写真も済んだので撮影終了かと思いきや、 ここからが本番!兎に角、もの凄かったです。 四駆の車の助手席に乗らされて河川敷の道無き道を縦横無尽に泥だらけになり乍ら、ドライバーの勘と腕だけで切り開き、突っ走ったこの画像を見てくれれば、それが伝わると思います。 この撮影が今迄で一番強烈でインパクトがありましたねぇ~。 最初は胃袋の中がどうにかなっちゃうんじゃないかと思う位、上下左右に震度6以上の 揺れを感じ、後ろを振り返って見れば仲間の車がひっくり返っているのを目撃したりで、 正直恐かったですよ。 でも、そんな恐がりのボクでもカメラを手にするとプロ意識が芽生え、 最後は暴走族の如く身を乗り出し ≪箱乗り撮影≫ おにゅーの靴は当然の如く悲惨な状態でしたが、メッチャ楽しかったですね~。 生まれて初めてのオフロード撮影をご依頼戴き、どうも有難う御座いました。 富川 : 心配していましたが、そう言って頂けると助かります。先方のお客様イズミさんも、とても写真には満足してくれて喜んでいました。こちらこそ有難う御座いました。 ホームページの写真を撮るにあたり、他の撮影と違うところは何ですか?
富川 : 私自身ホームページ制作にあたり、全体の出来具合は写真によって左右される部分が大きいと思っていますが、ホームページの写真を撮るにあたり、他の撮影と違うところは何ですか? 蛭田 : 今迄にHPの撮影に多少でもかかわったのを含めると約100社を数えますが、私の所に来た通常の撮影のお客様なら私とそのお客様との関係で済みます。 しかし、HP撮影の場合はお客様のお店の売上アップに繋がる写真じゃないといけないですからその辺を念頭に置いて喜んで頂ける写真、そしてHPをご覧になった方が初めてこのお店を知った事によって、ここに来て良かったなぁと感じて貰える様な、背景にそんな人と人との繋がりを 心に描いて撮影しています。 富川 : とても嬉しいお言葉ありがとう御座います。 ミャンマーにも仕事で行かれたと聞きましたが、どのような撮影になりましたか?
富川 : ミャンマーにも仕事で行かれたと聞きましたが、どのような撮影になりましたか? 蛭田 : 随分前の仕事ではありますが、私にとっては何年経っても未だに色褪せない出来事で、それまでの人生観を大きく見つめ直す非常に貴重な体験でした。 後から考えて見れば、通常は1人でやっているフリーカメラマンの私にとって、定期的にお仕事を頂いている既存の会社様などに1ヵ月もの間、留守を告げ迷惑掛けるのですから、帰ってから その仕事のオファーも無いかも知れないし、その後の生活設計も全く見えない状態なのに、普段は自分でも ほとほと嫌になる位の優柔不断なんですが、何故かその時は、1本の電話が鳴って『 はい、ロケーションです 』と出て、相手が『 ミャンマーで1ヵ月間同行撮影取材して頂きたいのですが…』と言ったとたん 『 はい承知しました 』と、すぐ応えていました。 (先方はもの凄く驚いていましたね)その時はミャンマーと言う国が旧ビルマと云う事も、 ギャランティの事も全く解りませんでした(笑) ※ 【蛭田K・HIRUTAの部屋】参照 これからの蛭田さんの進むべき道を教えて下さい。
富川 : これからの蛭田さんの進むべき道を教えて下さい。
蛭田 : 先程、冒頭で述べた父は既に他界し私は家業を継ぎませんでしたが、写真の志は しっかり受け継いでいます。 写真という素晴らしい切っ掛けをくれた親父に本当に感謝しています。 例えば婚礼撮影は、新郎新婦さまの歳が殆どボクの半分かそれ以下です。 そのお二人が50年後、金婚式を迎えた頃に、突然それまで忘れ去られていた古いアルバムを ひょんな事で引っ張り出して、『あぁこんな時代があったね』 と、2人でにっこりほほ笑む。 ボクはその時、この世には存在していないだろうが、その瞬間、至福に包まれた2人のアルバムは光彩を放って再び甦る…。 大事にすれば写真はず~っと残るんですよね。 そんな心に響く写真を思い描いて、これからも気持ちを込めて撮り続けて行きます。 |
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今月の写真
【 長閑なり 】